西郷隆盛の犬の名前はツンだけじゃない?銅像の性別の謎と愛犬一覧を解明
東京・上野恩賜公園のランドマークとして国内外の観光客を迎える西郷隆盛の銅像。堂々たる巨軀の傍らで凛々しく佇む一匹の犬を見上げ、「あの犬の名前は何だろう」と疑問に思った経験を持つ人は少なくないはずです。一般に広く知られている名前は「ツン」ですが、歴史の記録を紐解くと、西郷が生涯で慈しんだ犬はツン1頭にとどまりません。実際には十数頭、一説には20頭近くもの猟犬たちと寝食を共にしていた屈指の愛犬家でした。
維新の英傑がなぜこれほどまでに犬に執着し、家族同然の愛情を注いだのか。そして上野の銅像に佇む犬には、教科書には載らないどのような制作秘話や「性別の食い違い」が隠されていたのか。2026年現在の最新史料検証や学術調査、関係者の証言録をもとに、西郷隆盛の愛犬たちの全貌と銅像の知られざる舞台裏を紐解きます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:西郷隆盛の犬といえば「ツン」が有名だが、記録上確認できるだけでもツン、カヤ、シロなど十数頭以上の愛犬が存在した。
- 要点2:上野公園の銅像の犬は「ツン」とされるものの、実物のツンはメスであるのに対し、銅像のモデルはオスの薩摩犬「サワ」などが用いられたという決定的な食い違いがある。
- 要点3:西郷が犬を連れていた表向きの理由は肥満解消とうさぎ狩りだが、深層心理には過酷な政争や裏切りに傷ついた心を癒やす「絶対的信頼関係」の希求があった。
【名鑑】西郷隆盛の犬の名前一覧|ツン・カヤ・シロなど歴代の犬たち
西郷隆盛が生涯で飼育した犬の頭数は、現存する手紙や側近の回顧録、郷土史料の記述を照合すると、少なくとも13頭、時期によっては20頭前後に及んでいたことが確認されています。西郷の命名スタイルは極めて素朴で、毛色や外見の特徴、あるいは呼びやすさを重視した短い和名が主流でした。
なかでも後世に名を残している代表的な愛犬が「ツン」「カヤ」「シロ」の3頭です。とりわけツンは、薩摩藩領内の前田新左衛門という人物から懇願して譲り受けた虎毛の薩摩犬で、西郷が最も誇りにしていた名猟犬として知られます。ツンという名は、鹿児島の方言で「気が利いている」「ツンと尖った凛々しさがある」といったニュアンスを含んで名付けられたと伝えられています。
また、ツンと並んで西郷の日常に密着していたのが「カヤ」と「シロ」です。カヤは非常に忠実な性格で、西郷が散歩や狩猟に出る際は常に足元に寄り添っていた記録があります。シロは純白の被毛を持つ美しい犬で、西郷が晩年、下野して鹿児島で隠棲生活を送っていた時期にも屋敷の中で自由に過ごしていました。その他にも「トラ」「クロ」「テツ」「ブチ」など、素朴ながらも深い愛着が込められた名前が門弟たちの手記に散見されます。
西郷はこれらの犬たちを一頭一頭明確に見分け、狩りの得物や体調に応じて細やかに世話をしていました。当時の武士階級において、犬は番犬や純粋な実用猟犬として屋外で粗末に扱われるのが一般的だった時代に、屋内に招き入れ、家族同様の温もりを与えていた西郷の接し方は極めて異例だったといえます。

上野公園西郷隆盛像の犬は本当にツンか?銅像モデルの真相と性別の謎
上野恩賜公園に立つ西郷隆盛像の傍らに控える犬は、一般に「ツン」として解説板などでも案内されています。しかし、美術史や近代彫刻の調査報告書を精査すると、そこには制作上の都合から生じた驚くべき「モデルの真相」が浮かび上がってきます。
銅像の制作を担当したのは、近代日本彫刻の巨匠・高村光雲(西郷本人を担当)と、明治期を代表する動物彫刻の大家・後藤貞行(犬を担当)でした。明治20年代、西郷の名誉回復に伴って銅像建立プロジェクトが始動した際、すでに本物のツンはこの世を去って久しい状態でした。写真技術が未発達だった幕末から明治初期、ツンの鮮明な写真などは残されておらず、後藤貞行は「実物のツン」を直接見て彫刻することが不可能だったのです。
そこで後藤は、ツンの面影を持つとされる純血の薩摩犬を求めて方々を探し歩きました。最終的にモデルとして採用されたのは、当時の陸軍参謀総長などを務めた川上操六や旧薩摩藩士のネットワークを通じて見つけ出された「サワ」という名のオスの薩摩犬でした。さらに、薩摩犬特有の骨格を正確に捉えるため、東京・浅草付近で見出された別のオス犬なども補助的なスケッチモデルとして使われたと、高村光雲の回顧録『光雲懐古談』にも記録されています。
ここで最大の歴史的ギャップが生じることになります。実物のツンは「ピンと立った耳と巻き尾を持つメス犬」であったのに対し、後藤貞行がモデルにしたサワは雄犬であり、完成した上野の銅像の腹部下にも明確に雄(オス)の特徴が造形されています。つまり、上野の銅像にいる犬は「名前はツンだが、造形された肉体はサワという名の雄犬」という、二重のアイデンティティを持つ美術的産物なのです。
なぜ犬を連れているのか?西郷どんとうさぎ狩り・愛犬家エピソードの経緯
西郷隆盛といえば「着流しに草履、そして連れ歩く猟犬」というビジュアルが日本人の脳裏に焼き付いていますが、そもそもなぜ国家の重鎮であった西郷が、軍服ではなく犬を連れた狩猟姿で銅像化されたのでしょうか。その経緯には、西郷の肉体的健康問題と、当時の極めてデリケートな政治的背景が複雑に絡み合っています。
第一の理由は、西郷のライフワークであった「うさぎ狩り」にあります。明治維新後、西郷は極度の肥満(体重100kgを超え、身長約180cmの巨躯)に悩まされていました。心臓発作や脳卒中のリスクを懸念した明治天皇は、ドイツ人侍医のテオドール・ホフマンを西郷の主治医に任命。ホフマン医師は西郷に対し、厳格な食事制限と激しい運動療法を処方しました。その運動として西郷が選んだのが、山野を愛犬とともに疾走するうさぎ狩りだったのです。
第二の理由は、明治政府内における政治的配慮です。西郷は1877(明治10)年の西南戦争で明治政府軍と戦い、逆賊として自刃しました。その後、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布に伴う特赦によって名誉が回復され、銅像建立の計画が立ち上がります。しかし、政府内や軍部には西郷軍と血で血を洗う戦いを行った要人が多数健在であり、元帥陸軍大将としての正装軍服姿で像を建立することには強い反発がありました。そこで選ばれたのが、政治色を完全に排し、庶民に愛された晩年の私人としての姿——すなわち、愛犬を連れて野山を歩く「散策・狩猟の姿」だったのです。
西郷の犬に対する愛情は、単なる狩猟の相棒という枠を遥かに越えていました。鹿児島での隠棲時代、西郷は犬たちのために専用の粥を炊かせ、自分が食べる最高級のウナギの蒲焼きや牛肉を分け与えていました。さらに、夏場には犬たちに蚊帳を用意し、冬には同じ布団に引き入れて眠るほどでした。維新の元勲が犬に顔を舐めさせながら破顔一笑する様子は、近隣の住民や訪れる若手士族たちを大いに驚かせたといいます。

【徹底比較】西郷隆盛の主要な愛犬データと犬種「薩摩犬」の特徴
西郷が熱中した愛犬たちの特徴と、上野の銅像にまつわる関係性を整理するため、主要な犬たちの記録と犬種特性を以下の比較表にまとめました。
| 犬名 | 犬種・性別・外見特徴 | 史実における主な役割・エピソード | 現代の歴史検証・美術的評価 |
|---|---|---|---|
| ツン(つん) | 薩摩犬(純血種) 性別:雌(メス) 特徴:虎毛、立ち耳、巻き尾 | 前田新左衛門から熱望して譲受。俊敏無比な猟犬として野山でうさぎ狩りに大活躍した西郷の最愛犬。 | 上野銅像の犬として名高いが、実物はメスであり、銅像の姿とは耳の形状や性徴が異なる。 |
| サワ | 薩摩犬 性別:雄(オス) 特徴:引き締まった筋肉質な体軀 | 西郷自身の飼い犬ではなく、明治期に彫刻家・後藤貞行が銅像制作用にスカウトしたモデル犬。 | 上野恩賜公園の西郷像の足元にいる犬の「真の肉体モデル」。後藤貞行の動物写実彫刻の傑作。 |
| カヤ | 日本犬系(薩摩犬) 性別:雄 特徴:忠誠心が極めて高い中型犬 | 西郷の散歩や外出に常に従順に付き従い、私邸の警護役としても西郷から全幅の信頼を置かれていた。 | ツンと並ぶ側近犬として手記に頻出。西郷の孤独な隠棲期を精神的に支えた存在として評価される。 |
| シロ | 日本犬系 性別:不詳 特徴:白毛、穏やかな気性 | 室内で西郷と同じ布団に入って寝ることを許されていた室内寵愛犬の一頭。食事も同じ膳から分け与えられた。 | 当時の日本における「座敷犬・室内飼育」の先駆け的事例として動物行動史・生活史の観点から注目される。 |
| 薩摩犬(犬種全体) | 日本犬中型種 特徴:精悍な顔つき、警戒心と忠誠心 | 薩摩地方で古くから猪や鹿、兎を狩るために改良された実用犬。主君以外には容易になつかない剛直さを持つ。 | 昭和以降に純血種が激減し絶滅寸前となったが、有志による血統保存運動が展開されている。 |
【歴史心理学の視点】裏切りと孤独の狭間で|西郷が犬に求めた「絶対の信頼」
歴史社会学や臨床心理学の知見を導入すると、西郷隆盛の並外れた愛犬家ぶりは、単なる「趣味」や「健康法」という言葉だけでは片付けられない精神的な動機が透けて見えます。
西郷の半生は、凄惨な権力闘争、幾度もの島流し、信じた同志の死、そして明治政府内部での激しい対立(征韓論を巡る政変)の連続でした。特に下野して鹿児島に戻った晩年の西郷は、かつて生死を共にした大久保利通らとの決裂により、政治という人間の欲望が剥き出しになる世界に対して深い幻滅と人間不信を抱えていたと考えられます。
心理学における「アニマル・アシステッド・セラピー(動物介在療法)」の観点から見れば、犬という生き物は「社会的地位や損得勘定」で人間を判断しません。相手が政府の首班であろうと、野に下った罪人同然の身であろうと、愛情を注いでくれる主人に対して100%の無条件の愛と忠誠を返します。複雑怪奇な人間関係と裏切りに精神を摩耗させていた西郷にとって、愛犬たちとの時間は、自己の防衛機制を完全に解き放ち、無防備な素顔に戻ることができる唯一の「心理的聖域」だったのです。
【プロの結論】人間関係の疲弊と「愛玩対象への没入」から見出すべき教訓
西郷の愛犬への執着から私たちが学ぶべき最大の教訓は、「過密なストレス環境に置かれた人間には、損得を一切介さない健全なバウンダリー(境界線)と癒やしの避難所が不可欠である」という事実です。
現代社会においても、ビジネスや組織内の人間関係に疲弊し、ペットや特定の趣味に過剰に没入する傾向は見られます。西郷の場合、その愛情は犬の健康管理や共生という極めて健全な形で昇華されていましたが、一方で「人間社会への諦敬」と表裏一体であった点には注意が必要です。他者への過剰な期待を手放しつつも、孤立に陥らないための精神的バランスをいかに保つか。西郷の愛犬家エピソードは、現代のメンタルヘルス管理における「無償の愛の重要性」と「他者との距離感」を雄弁に物語っています。

一般に知られていない盲点とネットの誤解を徹底検証
インターネット上やSNSでは、西郷隆盛と犬にまつわる情報が断片的に拡散され、幾つかの決定的な誤解が定着しています。ここでは報道アーカイブや郷土史料のファクトチェックに基づき、よくある3つの誤解を正します。
誤解1:「上野の除幕式で、妻の糸子が『夫はこんな人ではない』と怒ったのは犬を連れていたから?」
1898(明治31)年の銅像除幕式で、西郷の妻・糸子が「宿んし(うちの人)はこげんなお人じゃなか(このような人ではありません)」と呟いた逸話は有名です。ネット上では「犬を連れたみすぼらしい格好に怒った」と解釈されることがありますが、これは完全な誤りです。糸子が指摘したのは「夫の顔立ち」です。西郷本人は写真を極端に嫌い、生前の写真が1枚も残っていなかったため、彫刻家の高村光雲は西郷の親族(弟・西郷従道や従弟の大山巌)の骨格を合成して顔を作りました。糸子は夫の顔が全く似ていないことに驚いて発言したのであり、夫が生涯愛した「犬を連れた狩猟姿」そのものを否定したわけではありません。
誤解2:「西南戦争の最期、犬たちはどうなったのか?」
1877年9月、西南戦争の最終決戦となった城山の戦い直前、西郷は最後まで従軍していた愛犬たち(カヤやシロら数頭)の首輪を自らの手で解き放ちました。「人間たちの戦いに巻き込んではならない。山へ逃げて生き延びよ」と命じ、野へ放ったのです。過酷な銃火の中にあっても犬の命を最優先に救おうとしたこの行動は、従軍していた将兵の涙を誘い、戦後に生き残った薩摩藩士たちによって語り継がれました。
誤解3:「西郷は薩摩犬以外の犬種を一切認めなかった?」
西郷が最も愛したのは地元・鹿児島の薩摩犬でしたが、決して狂信的な血統至上主義者ではありませんでした。狩りの能力が高く、賢く温厚な犬であれば、いわゆる雑種や他地域の地犬であっても等しく可愛がり、怪我をした野良犬の手当てをしてそのまま引き取ったエピソードも残されています。
【西郷 隆盛 の 犬 の 名前】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:上野公園の西郷隆盛像の犬の名前は何ですか?
A1:一般には「ツン」として知られています。ただし、実物のツンはメス犬でしたが、制作時にモデルとなったのはオスの薩摩犬「サワ」などであり、銅像自体も雄犬として彫刻されています。
Q2:西郷隆盛が生涯で飼っていた犬は何匹くらいですか?
A2:名前が文献に残っている主要な犬はツン、カヤ、シロなど十数頭ですが、生涯で飼育した頭数は20頭前後に及ぶとされています。多い時期には屋敷で10頭以上を同時に養っていました。
Q3:なぜ西郷隆盛の犬は薩摩犬なのですか?
A3:西郷の出身地である薩摩藩(鹿児島県)で古くから飼育されていた日本犬の地犬であり、急峻な山野でのうさぎ狩りや猪狩りに適した俊敏性と、主人に対する強い忠誠心を持っていたためです。
Q4:犬の名前「ツン」の由来は何ですか?
A4:ツンを譲り受ける前の元の飼い主や西郷が、その鋭く立った耳や凛々しい顔つき、気が利いて敏捷な様子を表す方言的ニュアンスから「ツン」と名付けたと伝えられています。
まとめ:歴史の巨頭が残した犬への慈しみから学ぶ現代の教訓
西郷隆盛の傍らにいた犬の存在は、単なる「偉人のマスコット」ではありません。激動の幕末から明治維新を駆け抜け、最後は時代の濁流に呑まれて散っていった大人物が、張り詰めた日常の中で唯一見せた「純粋な人間性の発露」でした。
上野の銅像に刻まれたツン(モデルとなったサワ)の凛々しい姿は、政治的な配慮という偶然から生まれたものでありながら、結果として西郷隆盛という人物の本質——地位や名誉よりも、純粋な魂と自然を愛した無私無欲の精神——を後世に伝える最高のモニュメントとなりました。次に上野公園を訪れる機会があれば、ぜひ西郷の足元に座る犬の精悍な表情を見つめ、歴史の裏側にあった深い愛の物語に思いを馳せてみてください。 (出典: 西郷 隆盛 の 犬 の 名前(Yahoo!ニュース))