ろうあ者とは?ろう者との違いや使われなくなった歴史の真相
「ろうあ者」という言葉を耳にした際、具体的にどのような状態の人を指すのか、また「ろう者」や「難聴者」とどう違うのか疑問を抱く方は少なくありません。かつては公的文書や報道でも日常的に使われていた表現ですが、現在ではテレビや新聞などの主要メディア、行政の現場で見かける機会が著しく減少しています。
その背景には、単なる言葉の言い換えにとどまらない、人権意識の高まりや言語学的な発見、当事者運動の歴史的な転換点が存在します。医学的な診断名から独自の言語とアイデンティティを持つ「ろう文化」の確立に至るまで、呼称に込められた意味の変遷と、現在知っておくべき正確な知識を多角的に整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:「ろうあ者」は「耳が聞こえず(聾)、話せない(唖)」を意味する医学的呼称だが、「唖」の文字が持つ差別的ニュアンスや当事者のアイデンティティ確立により、現在は「ろう者」「聴覚障害者」が一般的となっている。
- 要点2:1997年の「ろう文化宣言」を契機に、手話を独自の言語とする「言語的少数者」としての位置づけが定着し、中途失聴者や難聴者とはコミュニケーション手段や文化基盤が明確に区別されている。
- 要点3:歴史ある「全日本ろうあ連盟」などの固有名詞を除き日常使用は避け、対面時は視覚的配慮(筆談、スマホの音声認識、はっきりした口元)を用いた適切なマナーで接することが共生の実践となる。
【徹底解説】ろうあ者とはどんな人?言葉の読み方と本来の意味
ろうあ者は漢字で「聾唖者」と表記され、読み方は「ろうあしゃ」です。「聾(ろう)」は耳が聞こえないこと、「唖(あ)」は口がきけないこと、すなわち音声言語を発声・発話できない状態を指します。英語の医学的表現である「deaf-mute」(耳が聞こえず口がきけない人)の訳語として明治以降の日本に定着し、かつては法制度や教育現場でも標準的な用語として用いられていました。
医学的・従来の定義において、ろうあ者とは「先天的または言語獲得前の乳幼児期に高度の聴覚障害を負った結果、音声言語の自然習得が困難になり、発話機能も十分に獲得できなかった人」を指していました。人間は他者の声や自分の声を耳でフィードバックしながら音声言語を習得するため、聴覚を完全に失っていると発声器官に身体的な異常がなくても、明瞭な音声を話すことが難しくなるという身体的メカニズムに基づいた分類です。
しかし、時代が進むにつれて発音訓練(口話教育)や補聴器、人工内耳などのリハビリテーション技術が発達しただけでなく、手話こそが彼らの完全な母語であるという認識が広がりました。発声器官そのものに麻痺があるわけではなく、手話という高度な視覚言語体系を用いて円滑な対話が可能である実態から、「口がきけない」と決めつけるような表現は実態にそぐわないという認識が急速に定着していったのです。

ろう者・難聴者・中途失聴者との決定的な違いと分類基準
聴覚に障害を持つ人々は一様ではなく、障害が発生した時期、聴力レベル、そして主たるコミュニケーション手段によって明確に分かれています。これらを混同することは、当事者が必要としている情報保障や合理的配慮のミスマッチを引き起こす原因になりかねません。
| 区分・呼称 | 詳細・主なコミュニケーション手段 | 一般的な基準・手帳等級の目安 | 編集部の見解・アイデンティティ |
|---|---|---|---|
| ろう者(Deaf) | 乳幼児期からの失聴が多く、第一言語は「日本手話」。視覚による対話を主とする。 | 身体障害者手帳2級(両耳100dB以上)など重度・最重度が多い。 | 障害者という枠組みを超え、「手話という独自の言語を持つ文化的少数者」と自己規定する。 |
| 難聴者(Hard of Hearing) | 補聴器や人工内耳を活用し、残存聴力と音声言語(日本語)で対話することが多い。 | 軽度(25〜39dB)から高度(70〜89dB手帳3〜6級相当)まで幅広い。 | 音声日本語社会に軸足を置きつつ、騒音下での聞き取り難さや聴覚疲労と向き合っている。 |
| 中途失聴者 | 音声言語習得後に病気や事故で失聴。思考言語は音声日本語。筆談、要約筆記を多用。 | 進行度により手帳2級〜6級。成人以降の交付事例が目立つ。 | 「聞こえていた記憶」があるため喪失感が大きく、手話を一から覚えるハードルを抱える。 |
| ろうあ者(歴史的呼称) | 聴覚損失と発語困難を併せ持つ状態を指した医学用語。現在は公用語から後退。 | 法制度上の「聴覚障害および音声・言語機能障害」の重複相当。 | 現在は「一般財団法人全日本ろうあ連盟」などの団体名を除き、呼称としては推奨されない。 |
特に重要なのは、「ろう者」と「中途失聴者」のメンタリティおよびコミュニケーション手段の根本的な違いです。中途失聴者は、幼少期から日本語の音声と文字によって思考体系を確立しているため、手話を習得していないケースが多く、筆談や文字による要約筆記、あるいは日本語の文法順に手話単語を並べる「日本語対応手話」を好む傾向があります。
一方、生まれつき、あるいは言葉を覚える前に聞こえなくなった「ろう者」にとっては、独自の文法構造を持つ「日本手話」こそが第一言語(母語)です。頭の中の思考も手話で行われており、彼らにとって日本語の文章は第二言語に近い位置づけとなります。このように、同じ「耳が聞こえない」状態であっても、心理的背景や言語環境はまったく異なる点に配慮が必要です。
なぜ「ろうあ者」は使われなくなったのか?差別用語とされる理由と歴史的経緯
「ろうあ者」という呼び方が社会的に使われなくなった最大の理由は、「唖(あ)」という漢字そのものが持つ侮蔑的な歴史と、当事者に対する偏見の払拭にあります。
古来、日本語において「唖(おし)」という言葉は、話せない人を劣等な存在として見下す差別用語として用いられてきた負の歴史があります。「言葉を話せない=知能が劣っている、思考ができない」という誤った社会的偏見を助長する構造があり、当事者にとっては尊厳を傷つけられる痛烈な響きを含んでいました。
呼称の変化を決定づけた学術的・社会的な転換点が、1997年に木村晴美氏と市田泰弘氏が雑誌『現代思想』に発表した「ろう文化宣言」です。この宣言において、彼らは次のように力強く提示しました。
『ろう者とは、日本手話という、日本語と異なる言語を話す、言語的少数者である』
それまで社会一般や医学界は、聞こえない人々を「聴覚に欠陥を抱えた治癒・補償すべき対象」(医学モデル)として捉えていました。しかしろう文化宣言は、ろう者を「欠陥を持った障害者」ではなく、「独自の豊かな言語(手話)と文化を持つエスニック・マイノリティ」(文化モデル)として再定義したのです。手話という完全な言語で豊かな対話と論理的思考を行っている以上、「唖(話せない)」というラベリングは明白な誤謬であり、医学モデルの押し付けに過ぎないというコンセンサスが形成されていきました。
では、なぜ国内最大の当事者団体は現在も「一般財団法人全日本ろうあ連盟」という名称を掲げ続けているのでしょうか。連盟関係者の言及や歴史的資料によると、同連盟が結成された1947年(昭和22年)当時、聴覚障害者の法的権利は極めて脆弱であり、民法第11条で「聾唖者及ヒ盲者ハ準禁治産者トス」と規定され、財産管理の権利すら制限されていました。そうした過酷な差別と闘い、参政権や運転免許取得、手話通訳制度を勝ち取ってきた誇り高き団体の歴史とアイデンティティの象徴として、あえて歴史的名称を現在も継承しているという崇高な背景があります。

【実態検証】利用者の生の声と現場目線で見えた日常の壁
医療技術やITデバイスが著しく進化した2026年現在においても、社会の側にある「見えない壁」は依然として存在します。厚生労働省の各種福祉行政報告や当事者団体のアンケート、SNS上に寄せられる当事者のリアルな告白からは、制度と現場のギャップが浮かび上がってきます。
「病院の待合室で名前をマイクで呼ばれても気づけず、後回しにされてしまった」
「企業の面接で『手話通訳が必要』と伝えた瞬間、コミュニケーション困難を理由に不採用通知が届いた」
「駅の運行トラブル時、アナウンスばかりが流れて電光掲示板に情報が出ず、何が起きているか分からずパニックになった」
当事者の手記や調査データから明確に読み取れるのは、「聞こえないことそのものが苦痛なのではなく、情報が視覚化されていないこと(情報遮断)が真の障害を生み出している」という構造的真実です。
さらに近年、コミュニティ内部では「健聴者」という呼称に対する議論も活発化しています。「聞こえる人」を「健常な聴覚を持つ人=健聴者」と呼ぶことは、裏を返せば「聞こえない人間は不健全・病的な存在である」というニュアンスを内包しかねません。そのため、手話コミュニティや先進的な人権言論においては、対比として「健全」の文字を含まない「聴者(ちょうしゃ)」という中立的な用語を用いる動きが主流となっています。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
インターネット上や日常会話において、聴覚障害と手話コミュニケーションに関しては今なお多くの誤解が蔓延しています。現場で当事者と接する際、知らず知らずのうちに相手を困惑させないための3つの盲点を紐解きます。
盲点1:手話は「世界共通言語」ではない
「手話は身振り手振りだから世界中で通じる」という思い込みは完全な誤認です。手話は自然発生した独自の言語体系であり、国や地域によって文法も単語も全く異なります。日本の「日本手話」、米国の「ASL(アメリカ手話)」、英国の「BSL(イギリス手話)」は互いに外国語の関係にあり、アメリカとイギリスですら手話の体系は大きく異なります。
盲点2:「日本手話」と「日本語対応手話」はまったくの別物
日本で使われる手話には、大きく分けて2つの潮流があります。「日本手話」は音声言語の日本語とは文法規則が異なり、空間の使い方や眉・目・あごの動き(文法機能を持つ非手指標識)を駆使する独立した自然言語です。一方、「日本語対応手話」は日本語の文法順序に合わせて手話の単語を当てはめていくもので、中途失聴者や難聴者が日本語を補助するために用いるケースが多く見られます。前者を母語とするろう者に日本語対応手話で話しかけても、ニュアンスが正確に伝わらないことがあります。
盲点3:「補聴器や人工内耳をつければ元通りに聞こえる」という幻想
眼鏡をかければ視力が1.0に矯正されるのとは異なり、補聴器や人工内耳は「音をマイクで増幅・電気信号に変換して脳に届ける機械」です。周囲の雑音や金属音も一緒に増幅されるため、騒がしい場所では特定の人の声だけを聞き分けることが極めて困難になります。外見からは普通に聞こえているように見えても、脳内で激しい情報処理を行っており、当事者は膨大な精神的疲労(リスニング・エフォート)を強いられています。

現場で役立つ手話コミュニケーションと接し方のマナー
ビジネスの現場や行政窓口、日常生活でろう者や聴覚障害者と対話する際、手話が流暢に扱えなくても、適切なマナーと視覚的配慮を知っていれば円滑な意思疎通が可能です。
呼びかける際、背後から急に身体を触ると相手を驚かせてしまいます。視界に入る斜め前方から軽く手を振るか、距離が近い場合は肩や腕の外側を指先で軽くトントンと叩くのが基本マナーです。対面して話す際は、読話(口の形から言葉を読み取ること)を助けるため、マスクを外すか透明マスクを着用し、口元を隠さずにはっきりと一定のスピードで発声する配慮が求められます。
筆談を行う場合のポイントは、修飾語の多い複雑な長文を避け、「5W1H(いつ・どこで・誰が・何を)」を意識した箇条書きにすることです。また、現代のツールとしてはスマートフォンの音声文字変換アプリ(UDトークやGoogle音声文字変換など)の活用が極めて有効です。公的支援制度としては、自治体による「手話通訳者・要約筆記者の派遣事業」や、公的書類の取得費用補助などが整備されており、これらを適切にコーディネートすることが企業や組織に求められる合理的配慮の責務となります。
【プロの結論】障害の「医学モデル」から「文化モデル」への移行が教えるもの
呼称が「ろうあ者」から「ろう者」へと移り変わった歴史的プロセスは、社会が他者を見る眼差しそのものの成熟度を示しています。かつての日本社会は、特定の身体的・機能的な欠如にばかり着目し、医学的に「劣っている」「治すべき」と評価する「医学モデル」に縛られていました。その視点から生まれたのが「聾(聞こえない)」「唖(話せない)」という病理的ラベリングでした。
しかし、本質的な自立と共生を促すために必要なのは、過度な同情や腫れ物に触るような配慮(パターナリズム)ではありません。相手を「欠陥を持った哀れな存在」と捉える心理的境界線の歪みを解体し、「手話という異なる豊かな言語と世界観を持つ、対等な文化的一員」としてリスペクトすることです。この文化的バウンダリーの確立こそが、職場や教育現場における真のダイバーシティを実現する不変の教訓となります。
【ろうあ者とは】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「ろうあ者」と呼ぶのは失礼にあたりますか?現在の正しい呼び方は?
A1:日常会話や公の場で個人に対して「ろうあ者」と呼ぶことは避けるべきです。「唖」という文字に差別的な歴史があり、当事者の尊厳を傷つける恐れがあるためです。本人のアイデンティティやコミュニケーション手段を確認し、手話を母語とする方には「ろう者」、医学的・公的な総称としては「聴覚障害のある方」「耳の不自由な方」と表現するのが現在の標準的なマナーです。
Q2:なぜ「全日本ろうあ連盟」は今も「ろうあ」という名称を使っているのですか?
A2:1947年の結成当時、聴覚障害者が法的に準禁治産者として扱われるなどの過酷な差別に直面していた時代に、自らの権利を勝ち取るために立ち上がった歴史的な誇りと闘争の足跡が込められているためです。組織の設立経緯と歴史的意義を継承する固有名詞として、あえて名称を変えずに活動を続けています。
Q3:手話がまったくできない場合、どのようにコミュニケーションを取れば良いですか?
A3:手話ができなくても何ら問題ありません。スマートフォンの音声認識メモアプリやメモ帳を使った「筆談」、ジェスチャー、口元をしっかり見せてゆっくり話すことなど、視覚に頼った手段を柔軟に組み合わせることで十分に意図を伝え合えます。「伝えよう、理解しようとする真摯な姿勢」を示すことが何よりの配慮です。
まとめ:共生社会に向けた正しい理解とこれからの視点
「ろうあ者」という呼称の歴史と変遷を辿ることは、日本の障害者観が「欠陥の修正」から「言語的多様性の承認」へと進化してきた軌跡を追体験することに他なりません。言葉一つひとつの背景にある歴史的経緯と当事者の尊厳を正しく認識することは、誰もが生きやすいインクルーシブな社会を築くための不可欠な第一歩です。
固定観念や表面的なラベリングを脱ぎ捨て、相手がどのような背景を持ち、どのコミュニケーション手段を求めているのかに目を向けること。その柔軟で客観的な姿勢こそが、情報通信が高度化するこれからの社会において求められる本質的なリテラシーです。 (出典: ろうあ 者 と は(Yahoo!ニュース))